東京撃剣倶楽部
天然理心流の動きはどうであったのか。今演武等で見るような動きだったのか、有名な古武道の大先生のような動きだったのか、将又結局剣道のようなものであったのか。
今は様々な固定観念が邪魔をして、それに影響を受けたものを想像してしまいます。失伝してしまっているので今となってはどこにも答えはありません。
ここで一つの考察を示してみます。
文書上にもこれを明確に示した文言は今のところ見当たりません。
目録に「浮足之位」という教えが出てきますが、複数の文書を比較する所では、飛び込むような動作であったのだろうと読み取れるところがあります。
直心影流にも同名称の動きがあり、軽やかな動きを示すものだったことが「直心影流の研究(軽米克尊)」の中で示されていますが、天然理心流に於ける浮足も同様のものであった可能性があります。
ただ、これをどのように使ったのか。果たして、剣道のような飛び込み打ちのようなものだったのかなど、その動作内容までは探ることはできていませんが、私の考えでは剣道のようではなかっただろうと思っています。
剣道の飛込打ちも人それぞれの様相があり一概には言えませんが、私のイメージしているのは遠間からの一足飛びです。私の好きな剣道の姿の一つですが、そのようではなかったと考えています。
また、二代目近藤三助は身が軽く柔術が得意だったという逸話があります。
これは彼独自のものであったかのように語られることがあるように思いますが、実はそうではありません。これは天然理心流に長けた三助の動きを示したものです。
門人でかなり出来た人は宙返りのようなことをこともなくやったという言い伝えも残っています。
つまり、天然理心流はそういう動きをする武術だったと想像できるのです。
天然理心流の柔術の伝書に「武内小具足」との文言があり、竹内流の影響下にある体系だったことが窺えます。現在の竹内流の演武を見ると滑稽なまでに身軽に飛び寄ったり、飛び退いたりしていますが、これは身の軽さを目指したものなのではないかと想像します。
同系統の天然理心流の柔術もこのように身の軽さを目指したものだったのではないかと考えられます。
次に八王子やあきる野の神社の祭りで行われる天然理心流の「棒つかい(ぼうつけぇ)」というものがあります。古臭くとても趣のある良い動きをします。祭りの舞となっているので、武術としての要求は失われているとは思いますし、どれだけ当初の雰囲気を残したものなのかはわかりませんが、ここの中に表現されているものに身の軽さを見てとれるところがあります。
これが舞になったものだからなのか、かつての趣を残したものなのか、実際のところは不明ですが、私はこれを都合よく後者と考えています。
天然理心流は元々、柔術、棒術、剣術がセットで修業されていました。一つの流派としてやっているからには、全て同じ原理で動くようになっていたに違いありません。
以上のようにそれぞれのことを結び付けてみると、天然理心流は素早い身軽な身のこなしを旨としていたのではないかと考えられるのです。
現在このようなイメージで動く天然理心流を見かけることはありません。すべて、よく言えば現代武道のような感じに見受けられます。
身軽な動きとはただぴょんぴょんやればよいものではなく、そこにも厳格な要求があったであろうことは想像に難くありません。そうでなければ、わざわざ言葉に残したりはしないでしょう。