試合口の妄想


妄想と云えば、そもそも復元のすべてが妄想なのですが…。

 

切紙には、表木刀、陰橈、試合口の三つの剣術形があります。

中でも試合口は情報量が少なく記述もあいまいです。そんな中で無理やり想像してみました。

 

試合口について書かれた文書を読むと、突き立てる突き立てると三回やります。

 

ここでは試合口という文字から想像するに、敵と相対したときの取り口といったものとして捉えてみることにしました。

例えば、剣道の取り口として見た場合、それは所謂突き技というよりも、晴眼などの構えで中心をとるような作業に当てはめて読むこともできる記述内容ではないかと思います。

 

ただ、この中心をとり合うということが、厚さ数ミリ同士のもので成立するのか、という疑問があります。厚みのある木刀や竹刀であれば、真っ直ぐ中心をとれば、相手は逸れていきますが、数ミリ同士では外れません。

古武道のように明確に白刃を前提にしている場合、剣道とは違う状況下で行われるものと考えるべきだろうと思います。

 

ここでは仮に、私の剣道経験の視点で思い及んだ妄想の一つを示してみました。

形の復元のように文章から動きを想像するということは、前提の知識や経験が大きく影響を与えます。

 

文書内容の実伝が残っていたなら、もっと現実的な機微が隠されていたのではないかと思うのですが、今となってはこのように妄想してみるしかありません。