天然理心流の現状


天然理心流というと、新選組の小説、映画、漫画やアニメ、ゲームといった、あらゆるエンターテイメント人気の影響で、古武道と呼ばれるものの中で無駄に人気のある流派となってしまっています。

 

もう10年以上、ネットの中でも現状の活動団体の真偽が明らかにされ、様々な方が情報を発信してくださっています。

 

それでも尚、新選組人気の影響は留まることを知らず、天然理心流には、事実を見ずに信じたいものを信じる、武術に無知な人達が集まり続け、それを肥やしに天然理心流を名乗る団体が無駄に大きくなり、露出し、天然理心流はどんどん勘違いされていくという状態です。

 

斯く言う私も、希望を胸に天然理心流を名乗る団体に所属し、数年もの間、その会の中で稽古と呼ばれるものを信じ、それに励んでいたことがありますので、内情は少しわかります。

 

 

 改めて、始めに端的に言ってしまうと、本物の天然理心流はもうありません。

今表立って天然理心流を名乗っている人たちは、当時の師範の方達が残した古文書を元に、自分の考えで復元をしているか、全く関係ない完全な創作を教えている人達だけです。

どんなに有名で、テレビや雑誌に取り上げられている団体であってもです。

 

時々、流祖から見れば、どこの流派も形が変化しているので、天然理心流に限らず、すべての流派で失伝していると云えるというような方便を使って、天然理心流の失伝の事実を煙に巻くかのような発言をしているのを目にします。

 

ですが、何も流祖まで遡る必要は全くなく、前の代の人から、更にその前の代で受け継いできたものを伝えられ、その実伝のもとに、免許、指南免許、印可はおろか目録、切紙でさえも許可をいただいている人はもういないということです。つまり、流祖などと云わずとも、前の代からであっても、ほんの残りかすでさえも、伝わっているものがないというのが天然理心流の現状です。

 

そういう意味で、他の流派では残されいるところは、しっかり残されています。状況は全く違います。

  

 

根拠は師範家などで伝書と共に発見される形の覚書です。これは図書館や資料館にそのコピーが保管されていたり、ご子孫のお宅で現物が保管されているものなどで複数点あり、その経緯は様々です。

 

私達の把握している古文書は、大雑把に増田の流れのもの、桑原の流れのもの、周助の流れのもの等、それぞれから2、3冊ずつあります。その文書の内容を見比べるに、大同小異で、当時どの系統でもほぼ同内容の物を稽古していたことが想像できます。

 

松崎だからどう、近藤だからこう、ということはないのです。

 

それぞれの文書が書かれた環境、年代は違っており、その広範で集められた明らかに古びた文書の内容が、すべて概ね一致しているという事実が、これらの文書の内容が当時に稽古されていた内容であるという根拠になります。

 

ただの一人がこれが本物だと言い張っているのではありません。

 

 

 

文書の内容は、その当時の師範の方が残した覚え書として大雑把な動きの順番が書かれています。文書は書いた人の個性や状況で書き方は様々です。そのような状態なので、読み手によって理解が違うこともありますし、当然史料の量によっても内容の理解は変わってしまいます。

 

この部分だけを見ても、武術の復元がいかに曖昧でいい加減なものであるかがわかります。そして、その復元武術の形というのは残念ながら、中身のないただの動きの羅列にしかなりません。

 

しかもその動きは、読み手の知識の範疇を超えることがない、結局は読み手が考え出した動きです。

 

流祖やお歴々の使い手たちが行ってきた動きではありません。なので当然、この動きを覚えたところで、流派の業を身に付けたことにはなりません。力一杯やれば武術になるというものではないというのは、きっとお分かりになるのではないかと思います。これで流派を名乗れますか?

 

 

 

どんなに高精度な情報を得ていて、仮にそれによって文書の理解が極限まで深まったとしても、実伝がなくなってしまっている以上、ただの一足、刀の上げ下げでさえも確認や修正をしてもらうことができません。このような状態でその流派を修業したといえません。

 

実伝があっても、それを身に付けられるかどうかもわからない世界であるのに、ただ看板として流名を掲げて、文書で失伝流派を復興しようなどというのはとてもおこがましい話に感じられます。

何によって裏付けとしているのでしょうね。

 

私の武術の師匠は正確に残せないなら、失伝した方がよいと言います。

偽物で名前だけ残ってなんの意味があるのでしょう。

 

 

 

今ある天然理心流を名乗っている団体は、このような文書を元に、ご自分の経験や考えで復元と称して創作されたものを教えています。

 

伝を騙り、免状を自分でこしらえて、正統を名乗っていらっしゃる方までおられるという現実があります。それどころか、文書によることもなく、制定居合か何かの動きなどでいい加減に創作し、それに天然理心流の技名を付けて全伝などとし、天然理心流を名乗ってそれを教えている団体もあります。

 

新選組などを看板に知識のない方たちを騙して、何の関わりもないものを商売の道具にしているような状態です。天然理心流自体に胡散臭さを感じられてしまいかねない状況です。

 

 

非常に残念なことです。

やめた方がいいです。本当に。

 

 

何度も言いますが、天然理心流の実伝は今はありません。おそらくこれからも実伝が発見されることはないのではないかと思います。私も天然理心流のファンでしたので本当に残念なのですが、現実は受け止めた方が有意義だと思います。

 

 

これを踏まえて、東京撃剣倶楽部では文書の内容を参考にするという立場をとっています。

すべてを参考にしているわけではありません。部分的に撃剣の練習として使えそうな動きだけを自己の判断と理解で抽出して使わせていただいています。