私共の説明もほんの少し取り扱っていただきながら、下記のサイトで、「撃剣」という名称についての問題提起とそれに対する文献調査を行っていただいたものを読ませていただきました。
私達のような弱小チームの名前を出していただいたことに誠に感謝です。(また、これらの記事をきっかけにホームページ内の内容も少し訂正させていただきました。)
・撃剣ってなんだ - 古武道徒然(@kyknnm) - カクヨム (kakuyomu.jp)
・『撃剣』が指すのはどこからどこまで?|橙。。 (note.com)
私が過ごしてきた環境から、撃剣は古武道剣術の稽古法の一つという認識でいましたので大変に勉強になりました。これをきっかけに少し撃剣について自分でも調べるようになりましたので、本当に感謝しかありません。
撃剣倶楽部という名称で名乗っておきながら、あまりに無知でいたようで面目ない次第です。
少しだけ自分なりにも調べてみました。
「撃剣」、「剣道」という名称を使用するようになるのは、実践の場が、ほぼ竹刀剣術による打ち込み試合となっている時代で、それは刀が徐々に概念化していく頃なのかと思います。
当時、国民皆兵が謳われた時代、「剣術」を、単なる刀による戦闘技術ではなく、刀剣を支柱に錬成される武士道的精神性を養成する教材として、学校教育に入れていこうという試みがあり、そういう時代の流れの中で、「柔道」と並び立つために「剣道」と名称を変更させていきます。
「撃剣」は、「剣術」という名称を使うのが主だった時代の末期に、刀ではなく、竹刀を主な道具として使用する竹刀剣術の別称として、そこから「剣道」となるまでの割と短い期間に「剣術」と並行して使われた名称のようです。竹刀剣術が「剣術」の中心になってきたときに、竹刀打ちによる試合を実戦の場と捉えるか、その竹刀打ちを刀で殺傷し合う闘争の練習と捉えるかで、「撃剣」の立ち位置にずれが出ているようにも感じます。
私達は明治大正の頃の「撃剣」の再現を行うつもりはなく、また当然、刀剣による闘争を目的にしているわけでもありません。「剣道」との色分けをするつもりで、また「撃剣(げきけん)」という言葉の響きに魅せられて、この名称を使用しています。
私達の考える「撃剣」は、動きに制約がなく自由で(厳密にはありますが)、「竹刀は刀であるとイメージ」して、「相手に怪我をさせない」ように心掛け、打突部位を試合によるルールで制限されず、投げ組みも含んで、安全に武術らしい模擬戦をすることを目指して真剣に遊ぶ、総合体操法です。
加えて、「撃剣」の読みについても、お話しさせていただこうかなと思います。
私達は「撃剣」を「げきけん」と読んでいます。これを「げっけん」と読むのが正しいのでは、というお話があることを知りましたので、こちらについても少し調べてみました。
まず、全日本剣道連盟のホームページにある下記リンク先の論文では、「撃剣」に「げきけん」とルビがふられていました。
第3回 一刀流中西派の革新 | 全日本剣道連盟 AJKF (kendo.or.jp)
これが全日本剣道連盟の総意なのかはわかりませんが、公式ページに掲載されているので、容認はされているものと思われます。
ちなみに、この論文中では撃剣を「しないと防具を使用した打ち込み試合形態の剣術のこと」と定義付けされています。また、第6回 近代剣道の幕開け――千葉周作剣術論の公開 | 全日本剣道連盟 AJKF (kendo.or.jp)でも「竹刀打ち込み稽古(「撃剣」)」という記述があるので、こちらの論文では「撃剣」を稽古形態の一つとして捉えているようです。
次に当時の文献などを探してみました。
「史料明治武道史(渡辺一郎編)」に『武徳誌』という大日本武徳会の機関紙の記事が出ていました。
こちらの写真の記事は『武徳誌』の発刊に寄せて、新渡戸稲造が書いたもののようです。こちらにも「撃劍」の文字に「げきけん」とルビが振ってあるのがわかります。
ですが、これが渡辺一郎氏の写し間違いという可能性も考えられるので、原文を探してみました。
残念ながら、新渡戸稲造が書いたこちらの文章の原文を、ネット上に見つけることはできませんでしたが、同じ『武徳誌』の記事を見つけることが出来ました。
以下、該当部分だけ抜粋した写真です。
武徳誌 明治39年6月
真中に「撃剣教師(げきけんけうし)」とあります。
武徳誌 明治39年7月
「演武に移り撃剣(げきけん)、柔術(じうじゅつ)~」とあります。
武徳誌 明治39年8月
「津警察署雇撃剣教授(つけいさつしょやとひげきけんけうじゅ)~」とあります。
これだけで当時のすべてで「げきけん」と読んでいたとは言えませんが、少なくとも大日本武徳会では「撃剣」には「げきけん」という読みを使用しています。
他でも明治、大正の頃の書籍から「げきけん」と読みを振っているものを見つけることが出来ます。
愛知週報第28号 明治6年刊行
当時の新聞らしいのですが、こちらにも「撃剣会」を「げきけんくわい」とルビがあります。
日本武術大全 大正9年出版
日本武士道研究会 編の書籍ですが、こちらのルビも「げきけん」となっているようです。
乃木大将武士道問答 大正2年
乃木神社や乃木坂でも知られる乃木将軍への武士道に関する問答集においても「撃剣」は「げきけん」と読みが入れられているのがわかります。
新案撃劒体操法 明治29年
私達のホームページでも紹介させていただいている「新案撃剣体操法」でも「げきけん」と読み仮名がふられています。
探すと「げきけん」と読みが振られているものはいくらでも出てきそうな状態です。
ですが、当時の小説などでは「げつけん」などの読みが振られているものもあるようですでの、「げきけん」「げっけん」どちらが正しい、間違っているということでもないのかなと思います。
もしかしたら、口語では「げっけん」と言っていた、もしくは聞こえていた可能性はあります。「げきけん」という意識で発音していても、「き」が詰まって「げっけん」と聞こえるという現象はあるように思います。私達も会話の中で「げっけん」と聞こえていてもいちいち修正することはありません…。
こちらの指摘についても、改めて、確認するきっかけとなり、あいまいな部分が明瞭になりました。
改めて、感謝を申し上げたく思います。
今後も文言、認識などに間違いや齟齬が発見された際は、都度確認して訂正していきたいと思います。