切紙が伝えるもの


ここまで文書における切紙の形の主要なものについて、自分の見解を述べてみました。

厳密には気術などはここには含まれませんが、本来の組太刀の中にはその種が散りばめられていたというのが私の見解です。

 

これらの形の他に、「柄之事」、「先之事」、「應之事」など、おそらく形ではありませんが、剣を携える上で基本となるような事柄が教授項目にあります。それぞれ、手の内のことや、打ち込むとき、応じるときの刀の操作のコツのようなものが伝えられるようになっていたようです。

 

また、切紙では「草位」という天然理心流としての重要課題の一つが伝授されます。

草位に始まる草行真は気術へ通じる天然理心流の秘奥であると印可に書かれています。これが初学の切紙に登場するのは根本と成り得るものだからなのでしょう。

 

草から行、真と学ぶことになり、それはただ項目が並べられているだけなのではなく、全体的で流動的であり、その境はなくなっていくのです。そして気心意誠の執行を学び気術へ至り、これが理心の執行となる、と、云うわけなのです。言ってみただけですが。

 

切紙は剣術の基本として刀の扱い方から始まり、身体つくりが含まれ、武術として必要な要素を身に付けるきっかけを与えようとしているように思います。

 

そしてそれは、単に基本動作や単純な技の羅列に留まるのではなく、そのまま奥へ至れる大原則の道を示しているのです。この大原則は天然理心流を修行するにあたっては最後まで重要であり続ける内容となっているのでしょう。

 

天然理心流の剣士としてどのような術を身に付けるのか。ここから既にその土台作りが始まっているといってよいのです。

それだけ切紙は重要な内容なはずなのです。単に簡単動作の反復練習や筋肉トレーニング等ではなく、簡単で単純なほど、そこには先へと続く、込められた意味があったに違いありません。

 

そしてそれを明確に示すことができたのは本当の伝承者達でした。

天然理心流の免許、印可までの教えを師匠から授かり、指南免許を頂いて先師からの流名を名乗り、伝えることを許された者だけが、その責任の下で示すことができていたのです。

 

どこかからか持ってきて、とってつけたような説明を添えてみても意味がないのです。

 

 

伝書上次の課題となる目録では、いよいよ実際的なやり取りの方法の第一歩を踏み出すことになります。ここからが実戦的と云えるような内容になっていくように思います。

 

目録では先手の技法と小具足を学びますが、天然理心流としてはこれが基本戦術になっていくものと考えています。その上に立ってからの中極位以降の業になっていくのですが、その大前提となるのはやはり切紙なのです。土台であり軸であり続けるのが切紙なのです。