天然理心流は、剣術、柔術、棒術が二代目三助以降も伝承されていました。
その中で柔術のみを伝えている戸田角内の系統があります。彼は三助と同世代で、流祖の弟子ですから、初期からある流れです。棒術のみの伝系というのは今のところ発見されていません。
では剣術はというと、周助の系統は剣術だけではないかと云う話になるかと思いますが、構成上、剣術には柔術が入っています。
伝書上、剣術のみを伝承していると言っても、その過程で柔術を学ぶ必要が出てきます。
その内容は半端な内容ではなかったはずです。
例えば、力でごり押すようなものではなかったと思われます。柔術が得意だったといわれる三助は小柄だったといいますし、そこにはきっと、他流と同様に高度な術があったに違いありません。
つまり、天然理心流剣術を修行する、伝えるといっても、明確に柔術の要素を加味せざるを得なかった、欠かすことはできなかったのではないかと思うのです。というよりそのような教授体系になっており、これは投げ技がある、当身技がある云々だけのことではないので、柔術を基礎から学ぶことになっていたのでしょう。
このようなことから、天然理心流のベースにあったのは剣術ではなく、柔術だったのではないかと私は考えています。勿論、剣術は剣術であることには違いないのですが、そこを分け隔てることはなく、同じものの延長として稽古されるタイミングがあったのではないかと想像しているのです。
そして、天然理心流の柔術の系統を考えると、その動きの方向性のようなものが浮かび上がってきます。それは「棒つかい」などの雰囲気とも重ね合わせてみることができるようにも思うのです。
これは歴史的に天然理心流の本来の雰囲気を伺い知るのにはよい手掛かりになると考えています。