天然理心流剣術の特徴として、剣術の形でありながら、柔術の要素が入っているという点があります。
その雰囲気は切紙に登場してくる「柄砕」、「鐺捌」、「奏者」にも見て取ることができます。これらは主に帯刀している者が刀を押さえられたときに、それを振り解き、反撃に転じる為の柔の技術です。
ところが、ある天然理心流の道場ではこの前提が逆になっており、そもそもの趣旨を間違えた状態で形を創作して教えられています。
「柄砕」は三組あり、「巻揚」、「逆取」、「菱割」があります。それぞれ柄を相手に両手で押さえられているのを、手首を極めたり、固定するなどして解き、抜刀に移るもので、柄の捕られ方でのバリエーションとなっています。「巻揚」は他流派でもほぼ同内容のものが存在しているので、割と一般的な練習方法なのかもしれません。
「鐺捌」は二組で「綾落」と「指挫」があり、両方とも柄と鐺を敵に取られ、こちらを崩しに来る状況から、掴んでいる相手の手を極めるなどしながら投げるという内容です。帯刀している刀を使って相手の隙間を縫うように投げに入り、無理のない流れを作ることができます。
「奏者」は少し変化があり、「柄返」、「操落」と二組ありますが、これまでとは違い両方とも坐位で行われます。
そのうちの「柄返」は腰を引いて刀を抜き、抑えさえられた柄を返して相手の首筋を押切るという帯刀者側のものですが、「操落」だけは例外的にこちらから相手の刀を取り押さえ、組み伏せる構成になっています。これは無理に持ち上げたりせず、とても巧妙に相手を組み伏せる柔の技術となっており、個人的見解では天然理心流柔術が影響下にあると思われる竹内流の雰囲気を感じさせる内容です。
これらは帯刀者としての嗜みであり、また柔の基本として必須な技術を初学者に身に付けさせたのだろうと感じます。
伝書上、これらは中極位でも登場しますが、剣術をおこなう者としては、先ずは刀を抜かなければなりません。居合にも通じてくる要素なので、併せて学んでいたことでしょう。また、剣術と柔術との接点を見付けるという意味でも、ここには高度な要求があったのかもしれません。