教授体系「技術略」


神道扶桑流は教授段階として以下のものを提唱しています。

 

 

「技」

打、突、殺、活の法則で基本動作のことです。その際の體の動かし方が含まれており、神道扶桑流剣道の基礎となるべきものです。しかし、これはこのまま実際に使うというものではありません。

 

 

「術」

「技」を実際に使う際に「術」となり、「術」は「技」の活用法という位置付けになります。打、突、殺、活の理法を充分に知了した後、これを実際に行う際の法だと云っています。

 

「技」をそのまま使用しても、相手は動き、受け、避けるので帰って負けることになります。「技」は状況に応じて「技」を出す必要があり、「技」を変化して敏活に行うことを「術」と云っています。

 

機先を制するということは、敵の虚に乗じ、又は敵に虚を生ぜしめて、其の虚に乗ずる事になります。つまり、「技」を使うためにこれを敏活に行うことが必要ということなのです。

 

 

「略」

ここまでの「技」に「術」が備わって初めて「略」に入ることができる段階になります。

「略」は「術」を無限大に働かす方法であって、所謂、機に臨み、変に乗ずる千変万化限りなき動作のことを指しています。

 

要するに「術」を離れたる無形のものを云っています。「術」だけでは寄正縦横、神変不可思議の動作は出来ぬが、「略」を悟了せば限りなき霊妙の動作を表す事ができる。

『機に臨み、業ありて、業せぬ業を眞業と云う』とはこの「略」を言ったものという訳だそうです。

      

 

即ち、初心者は先ず「技」を一心に研究して充分これを会得し、其の基礎根底が固まるに及んで「術」に進み、「術」の研究が終わった後、専ら意を「略」の修業に傾注したならば、能く正しき技を会得することが出来、「略」を悟る事が出来るというわけです。

 

「技術略」の三者は何れも別個のものであるが、而も離る可らざる一體であって、其の何れが欠けても技の堂に達する事はできないのであるから、能く能くこの理を会得して順路を誤らぬ様、且つ成功を急ぐが如き事のない様専心修業せねばならないと苦言を呈しています。