東京撃剣倶楽部
かつて、切紙を許されて、どのような手順で目録に導かれていったのかはわかりませんが、伝書上を辿ると、目録ではまず一つ目に「仕懸立合之位」として仕掛け技の第一弾である「飛龍剣」を皮切りに、仕掛け技にまつわる4つの組太刀を学ぶことになります。文書を読むに、これらは一人で居合もどきのようなことをするものでは全くありません。
「飛龍剣」は試合のようなシチュエーションから立ち上がりすぐに打ち込む手順で動作は始まりますが(そうではない内容の文書もありますが、すべて面打ちを行う内容です)、これは文書の内容から、見た目からも剣道の面打ちのようなものとは違うようです。
次の「敵隠之位」の「陰勇剣」では相手と自分との間に刀を入れ、打ち込んだ刀を盾にしてその影に隠れるようにしますが、ここでも仕掛けにおける意識の開拓が行われていると考えられます。
3本目は「浮足之位」の「虎尾剣」は飛び掛かりです。どのように足を使うのかは明記されていませんが、単純に剣道でやるような飛び込み技と捉えるのは短絡的なようにも思います。
最後は「割剣九段切之位」、「五月雨剣」です。その名のとおりに五月雨の如く絶え間ない連続打ちになっており、流れの中で「割剣(ワリケン)」という天然理心流の中では割りと重要な応じ技で打ち返すというものになっています。
因みにこの連続打ちも剣道のような小手面を打つような動作とは違う趣のものになります。
「飛龍剣」に始まるこれらの形は、すべて先に仕掛けていくことに纏わるもので構成されていると読み取ることができます。
天然理心流として、戦闘に差し当たってとる基本姿勢を身に付けていく工程なのでしょう。
この辺りは史料が多く、多角的にこの項目を見る事が出来ていますが、全ての文書でこの内容は概ね一致しています。
ところが、ある天然理心流を名乗る団体では、これを小太刀を投げてみたり、曲がり角に隠れてみたり、足を上げて脛切りを避けてみたり、挙句の果てにはいい加減な九字切まで飛び出す始末です。創作丸出しですが、門人になってしまった人はその中にいるとそれを信じざるを得ないのです。
文書が示す内容は、すべてに連続性があり、合理的で、剣術の鍛錬として着実に段階的に上達していけるように構成されているように思います。
複数の文書は書いた人も時代も状況も違うので、表現の仕方が様々です。ある文書には使われている表現が他の文書にはないこともしばしばです。それぞれがシルクスクリーンの一色一色を載せて形になっていくようにして、その姿が見えてきます。ほんのわずかな表現の違いが視点の広がりになり、より立体的に見る事が出来るようになってくることもあるのです。
この作業はとてもクリエイティブで面白い作業なのですが、武術を稽古する、武術を修業する、伝授される事とは全く別物であることはお判りいただけるでしょうか。
東京撃剣倶楽部では、目録の技を竹刀打ちの基礎練習と位置付けて、私達の解釈で練習に取り入れています。